うだつの町並み



「うだつ」とは、江戸時代に隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、
これを造るには相当の費用がかかり、裕福な家しか造ることができなかった。
そこで、うだつが上がるということは富の象徴でもあったという訳だ。
「うだつが上がる」「うだつが上がらない」という言葉の語源でもある

中国の黄山へ行った時に訪ねた「宏村(こちら)」と「杭州(こちら)」で書いているが、
あの時、同行した人から、日本にも四国に「うだつの町並み」があると教えてもらい、
いつか訪ねたいと思っていたのが、今頃になってやっと訪ねることができた。

「うだつの町並み」は、徳島県美馬市脇町にあるのを見るのが一般的だが、
我々は、更に、徳島県美馬郡つるぎ町貞光の「二層うだつの町並み」も訪ねた。

先ずは、全国的にも珍しい、つるぎ町貞光の「二層うだつの町並み」から始めよう。


貞光のうだつは、前半分が一段低い二段式で、「二層うだつ」と言われる。
二段式になった防火壁に立派な小屋根がある重厚なもので見ごたえある。


二階の壁面から張り出した漆喰塗りの袖壁で、本来は防火の役目をしていた。
貞光は、江戸時代は葉タバコの商売で栄え、財を成したと言われていて、
当時の裕福な家は、このうだつを上げた立派な家を競って建てたそうだ。


二層うだつの前面には、家毎に異なる美しい絵模様が施され、
重層な美術工芸として全国的にも貴重なものだそうだ。
この2つの絵は似ているが、よく見ると違いが分かる。


漆喰を塗った上に鏝(こて)で風景や動植物などを描いている。
鏝で描いているので、「鏝絵(こてえ)」と言うようだ。


左は、名前を描いているのもある。屋号かと思われる。
右は、家紋入りの豪勢な鬼瓦をのせた幹飾りを大きくしてみた。


これは新しい建物だと思ったら、「まちなみ交流館」とか。
観光施設のようで、ここでいろいろパンフレットをもらった。
新しいが、町屋風に建てられ、二層うだつまで造られていた。


徳島県美馬郡貞光町字西浦に現存する旧:永井家の庄屋屋敷。
18世紀後期に創建され、江戸時代には庄屋職を勤めたそうだが、
今日まで維持されてきたこと自体が希少なことだ、とある。


さて、次には、脇町の「うだつの町並み」へ移ろう。


つるぎ町貞光の「二層うだつの町並み」と同じく、
町家の両端には漆喰塗りの「うだつ」が見られる。
江戸時代には、裕福な商家が競ってうだつを造り、
店の繁栄や社会的地位のシンボル的な存在に。


つるぎ町貞光の「二層うだつの町並み」と違い、うだつは一層だ。


「うだつ」とは、漢字では「卯建」と書くようだが、
建物の両側に「卯」字形に張り出しているからだとか。


うだつの他にも、旧家ならではの建物が当時の状態で今に残されている。

「虫籠窓(むしこまど)」とは、一見、虫籠のように見えるからこう呼ばれる。
木や竹に縄を巻いて芯に使い、練土を塗り、漆喰で仕上げて堅牢に出来ている。


「出格子」は、細かい角木を縦横に組み合わせ、窓や出入り口に取り付ける。
出入り口に近い店の部分は、間を広く透かして中が見えるように造り、
座敷の所は、細い角木を隙間なく組み合わせて、中が見えないように造っている。


「蔀戸(しとみど)」は、格子組みの裏に板を張り、日光を遮り風雨を防ぐ板戸。
昼は戸決(とじゃくり)に収め、夜は下へ下ろして、戸締りをする。


脇町のうだつの町並みは、きれいに整備されていて、
どの家もこのように竹を削って季節の花を飾っていた。


この家は、向かって右側には家がないのでうだつを造ってない。
左側のうだつは古くなって修理でもするのか、布で覆っている。


江戸時代に物資輸送の大動脈となっていた吉野川は、
「うだつの町並み」のすぐ南側まで流れ込んでいて、
船着き場があり、藍製品が集荷され出荷されていた。

今では「船着き場公園」になっているこの場所には、
石垣やスロープが残されていて、当時が偲ばれる。

吉野川の水運に恵まれ、藍の積出し港として栄え、
藍商人たちが栄華を極めた脇町の町並みには、
「うだつ」がそびえ、今なお当時の隆盛を物語っている。


その藍製品を作るところを見せてもらった。
これは、植物の藍と、それを干したところ。


初めは黒色に染まった布が、水で洗うと次第に色が薄くなり、
その内少しずつ次第にきれいな藍色へと変わっていった。


上記「二層うだつ」のある、つるぎ町貞光の貞光劇場。
昭和7年に建てられ、徳島に現存する芝居小屋として最古。
その後、映画館に転じた後も80年も続いた劇場だとか。


こちらは、脇町にある脇町劇場オデオン座。
昭和9年に創建された芝居小屋で、戦後は映画館として利用され、
現在はイベントホールとしてコンサートや演劇等も催されているとか。

さて、最後は、おまけです。


脇町の潜水橋。
吉野川に架かる数少なくなった潜水橋で、
増水時には沈んでしまう橋のことである。
低い位置に架橋され、安い費用で速く作ることができる。

うだつの上がる裕福な町の話題の終わりにしては、
安くて速いというのは…似つかわしくないか…。


阿波の土柱へ続く



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