岡崎の妙見さん


「洛陽十二支妙見巡り」については、これまでにも毎年書いてきた。
京都御所の紫宸殿を中心に妙見大菩薩を祀る「洛陽十二支妙見」は、
十二支の方角にあり、十二箇所の寺院からなる霊場である。

4年前の子年には、子(鼠)の方角(北)に位置している「善行院」(こちら)、
3年前の丑年には、丑(牛)の方角(北北東)に位置している「本満寺」(こちら)、
2年前の寅年には、寅(虎)の方角(東北東)に位置している「道入寺」(こちら)、
そして、卯年(兎)の昨年は、東に位置している東山鹿ヶ谷の「霊鑑寺」(こちら)。
今年訪ねた「満願寺」は、御所からは東南東に位置している。


満願寺は日蓮宗の寺院で、山号は示現山(じげんざん)。
五本筋の筋塀から、格の高いお寺だということが分かる。
立派な山門からは、境内にある本殿が見えている。


山門横には、「南無妙法蓮華経」と刻まれた題目石塔。


そして、満願寺境内の様子です。


菅原道真の乳母であった多治比文子(たじひのあやこ)が、
道真を追悼するために建立した堂宇が起源とされるとか。
当初は真言宗だったのが、日蓮宗に改宗したそうだ。


どうもこれが妙見さんと思われるが、
左側に見えている足元には石像の蛇が。


そして、巳年ではないのに、ヘビが。
前からと、後ろに回っても撮った。


卯年でもないのに、屋根にはウサギが。

しかし、辰年の龍の姿はどこにもなかった。


そこで、「洛陽十二支妙見」の字の上に見える赤字の「辰」を。
赤字で「辰」の字と「洛陽十二支妙見」と書かれているのが分かる。


本堂前には「妙経萬部塔」と彫られた石塔がある。
本寺は日蓮上人が吉田神道伝授の時に寄宿した場所と伝えられ、
日蓮上人による法華経1万回読誦大願成就の記念碑だそうだ。


「満願寺」との看板がないので、
「除厄日蓮大菩薩」と書かれた石碑で。
下に「満願寺」との名前が見える。


境内には多くの石碑や石塔がある。他にもこれは「俊寛僧都故居碑」。
俊寛僧都(しゅんかんそうず)は、後白河法皇の側近で法勝寺の執行。
鹿ヶ谷事件の首謀者として鬼界ヶ島に流されて死亡したとか。


上の石碑には「経塔」と刻まれているのが分かるが、
下のは何と書かれているのかさっぱり分からない。

さっぱり分からない写真を最後ではすっきりしないので、
最後は鐘楼の鐘を鳴らして帰りましょう。
元禄16年(1703年)に建立されたそうで、
京都市の文化財に指定されているとか。





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